sonapakhi ショナパキ

映画の記録と、日々の記録です。

2020年1月11日(土)「KANGEKI 間隙」vol.3

「KANGEKI 間隙」vol.3
■上映作品:『Documentation of Hysteresis』『美整物』『井戸を掘る(仮)』
■開催日時:2020年1月11日(土)18:40開場|19:00開映(21:00終了予定)
■ゲスト:ヒスロム、青柳拓

ヒスロムと青柳監督がトークにいらしていたのだけれど、なんというか彼らの身体から放たれる雰囲気にまず驚いた。普段の私たち生活者の側にはない身体の魅力というか。それは演劇をやっている人とも、ダンスをやっている人とも違う身体だと思った。具体的に身体を酷使する作業を、繰り返し繰り返し行うことによって出来上がった肉体なのだろうか。例えるならば、鳶職の方とすれ違うときの、生き物としてドキッとする感じの気配があった。男女の肉体の作りとかは横に置いておいて、生物として完全なる敗北を感じる。
解体する、山壁を登る、井戸を掘る、具体的な行為が先行しているからこそ、映像の中に写りこむ肉体や、肉体を行使する行為そのものの美しさや面白さににぼんやりと見とれてしまう。映像素材そのものの持つ力強さや説得力は、嘘のない肉体の行使からにじみ出ていると思った。それは『あまねき旋律』(2017)を観たときの感動とも近かった。繰り返される反復のリズム、そこからの逸脱、作業をしながら生まれる突拍子もない会話や身体の動き。

「地下で埋まっていた土を掘り返すことで、土の中に埋まっていた種が芽をだすことがある。花が咲いたら素敵だし、そういう長期的なスパンで井戸を掘ることによる変化を捉えてもらえれば」とヒスロムの方が青柳監督にトーク中語りかける。この物語の続きを、映画として目撃したいと思った。

仲間と顔を突き合わせ、何か一つのことに向かってひたすら手を動かし続ける。そういった人間的かつ根源的な喜びって、今の私たちの生活の中で味わえることはあまりないような気がする。ある程度リズムの中で生活している私にとって、間隙という場で、今日の作品たちを、みんなで観たという経験は革命的だ。生きていることそのものの面白さに気がつく作品に出会えた日は、いつだって上機嫌になれる。

実家にて

2020年の年が明けた真夜中、新年新しいことをしたいと思い立ちNetflixに加入する。ドキュメンタリー映画を探してみようと思ったのに、気が付いたら『全裸監督』を血眼で全話見切ってしまい、物語に飲み込まれる恐ろしさを感じる。気が付けば早朝になっていた。年末年始、家族がそろっても紅白以外はバラバラにスマホの画面で物語を楽しむ光景を目にした。また一つこの世界でディストピアが加速したね!だなんて別にもう口に出してひねくれる年頃でもないので、1人で静かに絶望した。

翌日も仕事がおさまらなかったので、外に出てぼんやり近所を徘徊する以外の余裕がなかった。余裕がないと必然的にPC上で観賞できる映画が見たくなる。友人に面白い作品はないかと聞いたところ、即答で『パリ、夜は眠らない』(1990)を教えてもらう。本当に面白かった。1980年半ば、ニューヨークの街でドラァグのカルチャーの黄金期に夜通し行われる「ボール ball」というショーパーティーを舞台にしたドキュメンタリーだ。そのボールと呼ばれるショーパーティーで堂々となりたい姿で闊歩する彼/彼女らの姿が、神々しいのだ。私はなりたい生き物の姿を、この場で、胸を張ってなりきっているけど、何か?という覚悟がにじみ出ている。この映画を紹介してくれた友人も言っていたが、アイデンティティや自分らしさというのはもしかしたら、元から手の内に備わっているものではなく、血のにじむような努力や苦しみののちに手にするもなのだ、きっと。トランスジェンダーとして23年間の人生を生き抜いた、Venus Xtravaganzaの花のような凛とした佇まいを目に焼き付ける。

2019年1月4日10時半、帰京する前にどうしても訪れたかった福井メトロ劇場に向かう。京マチ子特集。溝口健二監督の『雨月物語』(1953)を見る。PCの画面で食い入るように見つめていた溝口健二の作品とスクリーンで出会いなおせる感動。半世紀以上前の映画なのに、激情を抱える女性の情念と完璧主義者ゆえの映像美にやっぱり脳天を突かれた思いがした。
福井メトロ劇場は福井鉄道の福井城址大名町駅前にあるミニシアターだ。昔は市役所前という駅名だったのに、気が付けば変わっていた。当時の私は通学路の途中に下車して映画をみることが出来たはずなのに、その時は何故だか素通りして映画館に立ち寄ることがなかった。本当にもったいない学生生活を送ってしまったなと思う。学校が嫌になったことなんて何回もあったのに、素晴らしいアジールのような空間が、あそこにあったことを私は何故だか気が付けなかった。ちょっと抜け出せば映画に浸ってから日常に戻ることが出来たのに。
だから自分が高校に通ってきた道を再び10年後に辿り、映画館がそこにあって、映画を見たこと、2008年の映画ノートに『わたしがクマに切れた理由』の感想が書き込まれていたこと、それは大学在学中にDVDを借りて見た作品だということ。自分と他人の中で流れる時間の経過が重なる感覚があって、それだけで訳が分からず涙が出るような嬉しさがあった。お客さんの感想がびっしりと書き込まれた映画ノートをゆっくり読んでたらそれだけでたぶん時間がたってしまうだろうから、ノートはまた今度来た時に読ませていただこうと思った。あの劇場で、どれだけ沢山の人が、映画と出会って心を震わせたのだろう。映画ノート、当時のものと思われる古い『雨月物語』のポスター、沢山の人がそこに座ってこれから始まる映画のワクワク、映画の余韻を味わったと思われるソファ。劇場に詰まっているであろう物語を想像して嬉しくなる。もしかしたら、学校を抜け出して映画館に来てボンヤリしている学生がいるかもしれない。よくわからないけど色々なことを想像していたら、昔の自分を今の自分が抱きしめている感覚になった。

福井駅前の勝木書店に立ち寄る。ここでよく参考書を探していた。昔と同じ匂いがする。本棚をじっくり眺めていると、地元出身の作家と、今話題になっている本が交互に並んでいて、とても素敵な空間だと思った。高校生のときは地元の本屋の本棚にこういう美しいセレクションの本が並んでいることにだって気が付けなかった。書店の方が強くお勧めしていた、フレディみかこ氏の『ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー』を買って、帰京する新幹線で立ち乗りしながら一気に読む。多様性の最先端にあるイギリスで子育てをする筆者のルポタージュには、日本で日本人として生きている私に生々しく刺さる言葉が沢山あって、まだ消化しきれていない。消化して、そこから学んだことを実践しなければならないと思った。

本を読み切ると東京についている。その日の夜、美味しいサバの味噌煮をいただく。

2020年、こちらのブログ復活しようと思いました。

2020年明けましておめでとうございます。たくさんの方にお世話になって、生き延びることができたと確信しています。まずは本当にありがとうございます、本当に。自発的捨て猫みたいになっていた私を半年間拾ってくれた友人に、まずはありがとうを伝えたい。彼女の実家で食べた500円くらいの新潟湾で獲れた小さな蟹がとても美味しかったことをいま思い出した。

2019年、いろんなことがあったように思います。たくさんの嬉しい出会いがありました。本職のプログラマーとして恵まれた現場で働けて、仕事の合間合間に上司と映画の話を山ほどしていた気がします。論理的に物事を考える癖がついてきたおかげか、日々のバランスもニュートラルになった気がします。

 

転職したり、引っ越ししたり、プライベートがごたっとしたり、

ゴールデンウィークダッカでお仕事する機会に恵まれたり、

ベンガル料理を広めるイベントを作ったり、

友人と小さなポッドキャストを始めたり、

大好きなヨガの先生が近くの教室からいなくなってヨガに足が向かなくなったり、

友人が働く能登に初めて訪れたり、

仕事の納期に追われた反動でジムに入会して走り出したり、

仕事帰りにレイトショーを見ることが難しいと、PCで食い入るように配信サイトの映画を見つめたり、

 

東京での暮らしを書き出してみたら、改めて自分の行動は多動だと認識します。そのどれもどれもが楽しい思い出なのですが。しかしこの働き始めた2018年から2019年の2年の間、私自身がいつ、どこで、何をして、どう感じたのか、それらがものすごく散漫な記憶として散らばっています。1年間会っていない人と久しぶりに会うだけで、その人の顔の変わらなさに驚いてしまうというように、自分の中で時系列がこの数年で散り散りになっているのです。結構ショックでした。しかもそれらのピースは微妙に履き違えていて、私が福井県出身を富山県出身と間違えられるとムカつくのに、誰かと誰かの記憶が入り混じって、同じことをつい最近北関東の方にしてしまいました。ごめんなさい。自分の記憶の曖昧さに驚きました。

2019年12月31日、私は帰省して実家のテレビをずっと流しっぱなしにしながら納まることを諦めた仕事をしていました。福井テレビ開局50周年記念につき「ポーランド孤児」のドキュメンタリー番組が流れていました。福井にある敦賀湾はその昔、ロシアと日本をつなぐ玄関口だったのです。そのドキュメンタリー番組には地上波初登場の、約30年前のポーランド孤児のインタビューが差し込まれており、それを私はしみじみ見つめていました。ポーランド語訛りで「もしもしかめよ、かめさんよ」と楽しそうに歌うおじいちゃんおばあちゃん。

わたしの地元も、おじいちゃんとおばあちゃんが沢山暮らしていて、朽ちている建物がそのままになっている光景がよく目につくような土地です。父と母でドライブしていたら、毎日通学していたはずのその場所に、瓦を作る煙突が残っていることに気がつきました。それはバングラデシュの郊外でよく目にしていたレンガ用の煙突と良く似ていた。

一方、超高速で流れる私の都会での暮らしの中で、ありとあらゆる記憶が薄らいで、ごちゃ混ぜになって、忘れ去られていくことに、驚きと恐怖を感じます。国家の陰謀が私たちを鬼のように働かせ、海馬を小さくしているのかもしていません。沢山考えたいことがあるのに、日々の多忙さがそれらを取りこぼしていく。しかしそういう状況下だからこそ、いつ、何があって、どう思ったか、そして何を思い出したのか、それらを書き起こし、編み直し、だれかに記憶を手渡していく努力を続けていくべきだと思いました。そのいち手段として、時系列で記録されていくブログというメディアに個人的な語りや記録を書き残しておくことにします。学生時代に書き散らかした記事は恥ずかしけれど残しておく。読めば自分が思い出す手立てになる。過去の自分グッジョブ。

2020年は2019年より流れが早いと思うし、自分がその流れについていかなければならないから、とにかく走って走りまくるけど、後から振り返ることができるようにしたい。忘却する人類への無謀な抵抗の手段として、映画を届けていこう。人類の抵抗のおかげで、私はポーランド孤児のことを今日知った。

 

追記)冒頭の捨て猫の話は、2018年の話であって、2019年の振り返りではない。自分史を編んでいるだけでも人間の物語的な語りの重力を感じる。

 

 

 

 

夜の浅草

7月の三連休、数年ぶりに高校の友人と会い、東京観光をしました。

久々のお喋りに花が咲き、夜は居酒屋で管を巻き、洒落たモーニングを食べ、またねと別れました。

 

私たちは働けば働くほど、強くなっていくね。

心が何より強くなる。と、仕事の話を沢山しました。

お金が自分の力で手に入る、生活を自分の力で成り立たせることができるというのは、

なにより自分に自信がついていきます。

将来に何の保証もありませんが、自分の足で立っている限り、何とかなっていくものだと信じています。

 

酔い覚ましに、夜の浅草を散歩しました。

浅草寺を包む優しい光が大好きで、友人に見せたかったのです。

東京観光の素敵な思い出になってくれますように。

f:id:mikarin43:20180724220932j:plain

 

女性の背中が好きです。

何を背負って生きてきたのか、その人がどんな意志を持ってこれから生きていくのか。

撮らせていただいた背中は、みな美しいと思っています。

(背中を撮られてもそんなに嬉しくないよなあ…とも思いながら。)

 

f:id:mikarin43:20180724221027j:plain

 

時間があるときに、今度はセルフポートレートに挑戦してみたいな。

そのためには三脚を買わなきゃか。うーん、ボーナスまで待つか。

 

 

世界に抱擁されている感覚

光と影の調和した午後だった。忘備録として連ねておく。

 

午前、早起き。有楽町で映画を観て、午後は本郷三丁目に向かう。朝はそれなりの土砂降りで、カメラが濡れてしまわないように歩いたからリュックが濡れてしまった。肌寒い11月、ポートレート撮影をするのは被写体の方がかわいそうだと不安に思った。ビニール傘を選んだのは、僅かな光を通すための小道具にしようと思って持っていた。

その日写真を撮ることになっていたのは、川野芽生さんという方で、第 29回歌壇賞を受賞された。紙面に乗せる写真を撮るということだから、責任は重大だ。自分の持てる想像力をかき集めて、会うまで色々なことを考えた。

 

きっと透き通るような姿で、言葉でもって美しく闘っている方なんだなと思った。

 

映画で半分以上はウトウトしてしまった。やりきれない現実をやり過ごすため、夢と現実を往来する少女の物語だった。わたしも夢と現実を往復しようと思って、ウトウトした。目を覚ますと少女は現実をようやく受け入れて、声を上げて泣き、今まで溜め込んでいた感情を一気に表出していた。半分以上まどろんでいたけれど、そこで涙が出る。 

 

映画館を出ると傘をさす必要がもうなかった。f:id:mikarin43:20180129015433j:plain


少しだけ曇っている。フラワーショップで小物として使うお花を探す。どうせなら受賞おめでとうございますと、景気よくバラの花束を渡したかったけれど、何故だかバラの花がしっくりこなくて、白いアーチ状の花を一本買った。

撮影場所を探しに、メトロで本郷三丁目へと向かう。地上に出ると、晴れ間が広がっていた。空気が新しい。 大学の構内は雨上がりの青空の中、思い思いに過ごす人であふれかえっていた。湿った葉っぱと、濡れた土と、降り注ぐ光と、古くからそこにある建物と、それをデッサンするおじいさんたち。セルフィーを撮る観光客、祝日を楽しむ親子連れ、お湯を沸かす警備員。 

どういう訳かその日の午後は、光の加減とか冷たい秋の空気とか、何もかもが完璧な一日だった。言葉と写真を通じて川野さんと巡り会え、時間を共有出来たこと自体が、私はこの世界で祝福を受けているような心地がした。

「自分が幸せだと強く感じた瞬間。美しい景色を見た瞬間でも、人の優しさに触れた瞬間でも、どんな瞬間でもいい。目を閉じて、幸福に満ちた感覚を全身で感じるんだ。そして、その感覚を身体に閉じ込め、自分の一部にする。感謝の気持ちを込めてね。そうすると、時が経っても、その感覚を思い出せるんだ。」 深海菊絵著『ポリアモニー 複数の愛を生きる』より 

「その感覚」を自分が如実に思い出せ、それを他者と共有できるようなものを撮れるようになりたい。

 f:id:mikarin43:20180129015402j:plain

女たちの夜


夜な夜な繰り返させる、帰宅後のガールズトーク
本当にくだらないおしゃべりの集積。

 

ただしどこか祈りに似ている。

 

今日思ったこと、とりとめもないこと、好きな人の話、だれがかっこいいとか、とりあえず飲もうとか。
浮かんでは消えるおしゃべりを、私たちは夜中に繰り返す。

 

その日の疲れを癒すため、明日が今日より良い日であるように、言葉を重ねていく。
他人に対する思いやりの言葉だったり、ちょっとした悲劇を喜劇に変えてしまったり。

 

きっと傍からすれば、ただの煩い小鳥たちがぴいちく鳴いているようにみえると思う。しかし私たちにとってそれは大切な儀式なのだ。

現実を認識し、それを真正面から乗り越えるのではなく、笑ってやり過ごす方法を見つけるための。

 

そうやって私たちは今日も生きていく。

ドキュメンタリー映画が好きな理由

メモとして、まったくの主観を今から書くだけ。

 

どうしてドキュメンタリー映画が好きかということ。

ドキュメンタリー番組ではなく、ドキュメンタリー映画

もちろん、番組には番組の良さがあって、大好きだ。

いまから書くのは映画に関すること。

 

私は様々な人間関係の中を生きていている。

ドキュメンタリー映画に登場する人物も、その人物の人間関係の中を生きている。

その人たちがふと発する言葉、生きる姿、感情が、私が大切に思っている人を想起させるとき、

人間の哀しさや愛おしさに触れるとき、

透明の涙が出る。

大切な人たちは、毎日会えなくて、遠くに暮らしている。

その大切な人たちは、日々年をとり、突然あえなくなってしまうことだってある。

戻らない時間と、変わりつづける場所と、私自身を温めてくれている記憶を思う。

普段生活している分には思い出さないのに。

映画の中でその時その場所で生きていた人を見ていると、ふと思い出すのだ。

そして映画を観ながら、自分の記憶と映画の場面が脳内で行ったり来たりしてしまう。

翻って今自分が生きていることの奇跡を思う。

 

たぶんそうなったら、その映画はもう客観的に構造的に鑑賞できていない。