マフラーにした「赤い手ぬぐい」の質感が分からない
かぐや姫の『神田川』を力技でベンガル語と英語に翻訳してみたお話。
ベンガル人に、日本語の歌を聞いてもらったらどんな反応するかな~というのが目的です。
好奇心と翻訳へのアマチュア的情熱から、日本語の特徴のあるポピュラーソングを翻訳している。
ベンガル人は芸術好きな人が多いからか知らないが、どんな訳でも見せれば褒めちぎってくれる。ありがとう。
翻訳しながら歌詞と向き合っていると、本当に次から次へと疑問が沸き上がる。
これ、いつの歌?なるほど、1973年か。
作詞された喜田条忠氏の話によると、学生闘争の時代なのだな。ふむふむ…
そして驚愕したのは、作詞家は男で、作詞家の心情を書いた歌であるらしいということ。
それまで鼻歌交じりで曲を聞いていた私は、完全に、あぁ彼氏が風呂から出てこなくて寒くてイライラしているんだなと思っていた。
今は風呂から出てくるのを待って、石鹸をカタカタ鳴らすことはもうないんだろうな。
暖房の利いた休憩所があるもの。
洗い髪もドライヤーすればいいもんな。
横丁って、具体的にイメージ出来ないなあ。
そして一番疑問に思ったのが、
70年代の赤い手ぬぐいって、どんな質感だったんだろうかってことです。
ぱさぱさしてたのか?赤ってどんな発色の赤なの?
マフラーとしての防寒機能はあったのか?
ついでにマフラーをどのように巻いていたのかも不鮮明である。
二人で巻いて暖を取っていた可能性もある。
しかしそのような場合、手ぬぐいの長さ的に無理があるか・・・
「赤いてぬぐい」という、70年代の母語のレアリアが分からない。