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時々思ったことを書いています。

白いシャロワル・カミズを着た彼女

 今年の2月の後半、バングラデシュを旅行した。一切旅の日記みたいなものをつけていなかった訳だが、なぜかふと、出会った一人の女性のについて書きたくなった。

 旅行中の大概の時間は、最高学府といわれるダッカ大学の広大な敷地の中にいたので、バングラデシュを見て回ったと胸を張れない。かつ出会った人も、バングラデシュの恵まれた階層の人ばかりだから、旅行の体験は極めて偏ったものである。しかし旅行というのは、誰にとっても私的な体験だ。これは一つの私的な話である。

 旅行の終盤で、知り合いの教授の授業に招かれることになった。授業前、教授の女子学生たちが6~7人くらいで私を囲んでくれて、日本でベンガル語を学んでいるということで熱烈に私を歓迎して、嬉しい質問の矢を浴びせてくれた。
 そのうちの一人が、白いシャロワル・カミズを着た彼女だった。小さな身体の彼女は、授業が始まる前、私がご飯を食べていないのを心配し食堂に連れていってくれた。彼女は、感情が表に出るような性格ではなく、物静かで聡明な、文学少女という感じだった。旅の出会いでありがちな、矢継ぎ早に何かを聞いてくる感じでもない。いつまでいるの?と聞かれ、もうすぐ帰ると答えると、それは残念、もうしばらくいるのなら、コックス・バザールの海に連れていってあげるのにと言って、彼女と海の写真を沢山見せてくれた。海が相当好きなのだろうか。どうして海が好きなの?という質問はなぜだかその時思い浮かばなかった。

 食後、教室に向かう途中、詩は好き?と率直に聞かれた。私は他の学生とはちがう彼女の雰囲気にちょっとどきどきしていたからか、曖昧にはにかんで、好きだよと答えることしかできなかった。あらそう、と彼女も曖昧に微笑んでくれた。詩の話はそこで終わってしまった。
 授業中も彼女は隣に座ってくれた。教授に無茶ぶりされたスピーチもなんとか終えて、いざ授業が始まると、彼女はすべての集中力を耳とノートに注ぎ、私を気にすることは一切なかった。そのノートの文字があまりにも綺麗だったので、私の意識は彼女のペン先から生まれるベンガル文字に傾いていた。授業中、彼女に質問して教授の文学講義を補足してもらおうなんて真似は怖くて出来なかった。
 
 教授の授業が終わると、先ほどまでの歓迎ムードとはうってかわって皆次の授業のことで頭が一杯という感じであった。さよなら!と、教授の生徒さんたちと潔く別れた。別れ際に、日本語を学んでいる女子学生から、授業中に書いたと思われる手紙をもらった。

「あなたが大好きです。あなたは綺麗です。○○より」
 授業中に一生懸命書いてくれていたのかと思うと、微笑ましかった。

 授業後、教授から白い服の彼女の話を聞いた。彼女は、学科の首席であり、かつ詩人であったのだ。授業に対する集中力も、詩は好き?の質問の意味も、後からようやく理解できたのであった。

 後日フェイスブックで詩を読みたいとメッセージを送るも、時間がなくて本をもらうことは出来なかった。

 あのとき彼女の詩を読めなかったことは、今でも何となく心に引っかかっている。帰国後、卒論のテーマも少し変わって、タゴールの歌を四十程翻訳することになった。六月には詩を朗読する。次は胸を張って詩が好きだ、あなたの詩を読ませてほしいと言える自分で彼女と話がしたい。