生まれた町のこと

 

 18年育った町を離れて4年経つ。小さい頃はあれほど大きく思えたショッピングモールは少し色あせてしまい、更地が目立つようになった。公園は人手がつかないのか、枯れた草が生えっぱなしになっている。
 小学生の頃は体が小さいからか、私の町のことを、ものすごく大きく、不思議にあふれているところだと思っていた。夜は一人で出歩くのが怖かった。誰かがどこかで飛び込み自殺したと言われている線路が家の裏の近くにあり、真っ暗な神社があり、雪で音が吸収される夜があった。家の中に泥棒が忍び込んでくるのが怖くて、施錠を確認した夜があった。トイレにお化けがいるかもしれないと思ったこともある。

 しかし今では夜はただの夜になった。丑三つ時まで起きていても平気だ。昔、徒歩で行けなかった距離もやすやすと歩けるようになった。この町をつつむ神秘のヴェールが、年を重ね、町を離れることで、はがれてしまったように思える。

 私はこの町のことを愛している。それは断言できる。私を育ててくれた家族が夢を託して作り上げた家がある。幼なじみたちと遊びほうけた公園がある。おじいちゃんと一緒に買い物に出かけた、ショッピングセンターの残像がある。それは、あまりにも幸福で甘美で完成された美しい思い出である。私の家には姉の小さい頃からはじまる写真が飾ってあるが、帰省する度私はぼおっと眺め、戻らない家族の幸福な思い出に少しだけ浸ってしまう。まだ元気だったおじいちゃんとおばあちゃんが、孫の小さな姉を海水浴に連れていく写真。私はまだ生まれていなかったから、水島というその美しい海を頭の中で想像するしかなかった。そして想像は飛躍し、私を冬の日本海の思い出へと誘うのである。海の崖にひっそりと力強く生える美しい水仙たち。父と母と、冬になるとドライブをして水仙を摘みに行った。私が小さかった頃の話である。もう何年も行っていないが、今でも時々ふと、あの海を見に行きたいと思うのである。しかし私は山を越え海沿いを運転する自信はない。つい車を運転してあげると言われると、子供時代に帰れるような気がして、心がゆるんでしまう。あの時目にした水仙畑を、海の荒ぶる輝きを、もう一度でいいから見にいきたいのである。若かった母と、白髪の少ない父と、車に乗ってもう一度、思い出を作りにいきたいのである。なぜなら私がこの町に戻ってきて、この町に住み、子供を作り、その子供と夫と、そして母や父を交えもう一度、海水浴に出掛け、バーベキュー、花火をするなんてこと、絶対できそうにもないからだ。いや、やろうとおもえば出来るかもしれない。が、曲がりなりにも自分のために仕事をやりたいと思ってしまった以上、命を産み育てることとは遠ざかってしまう。命が産まれたとしても、母や父が元気でいてくれる保証はない。このままだと私の育った家はいつかだれも住まなくなって、父も母も死ぬ。私の周りの家族たちは、ちゃんと子供の誰かが家に戻ってきて、子を作り、家を継ぐところが多い。数年前は煩わしいことだとは思っていたが、家や土地を守ってくれる人がいるからこそ、浮き草のように漂って生きるような勇気を培えたのだと思う。その基盤を、自分の手で守ることができず、家族の思い出が少しずつ古びていくのを横目に、離れた土地で忘却と忙殺の力を借りながら生きるのは、快いものではない。自分の選択に後悔することが必ずあると思う。けれど、どう生きればいいか、やはりわからない。

 18年同じところで生まれて過ごした影響というのは、思いの外強く、私のなかの奥深いところに居座って、ときどきひょっこり顔を出す。見えないけれども深い愛情に包んでくれたた家族とこの町のおかげで、私は倒れても再び起きあがり、歩きだし、考えることが出来る。そして注がれた愛を、私のなかにとどめておくのではなく、また誰かに譲り渡したい。それは、ささやかな形ではあれ、それが誰かの悲しみの解熱剤となり、力になれれば良いとおもう。そんな作品を作りたい。
 加速する時の流れを感じはじめた今、その流れの中にしっかりとブイ浮かべながら生きていきたい。クリバーでもないし、我ながら泥臭いし、お金持ちにはなれそうもないが、それでもいいと思う。