通り過ぎていくもの、いかないもの


 自分の人生を、通り過ぎていくものといかないものがある。通り過ぎていくものは、人でもあるし物でもある。通り過ぎていってほしくなかったものが、不運にも通り過ぎていく場合もあれば、望まないのに居座ってしまうものもある。
 行き来する通路をふさいでしまいたい時だってあるし、沢山の人を招き入れたいときだってある。時とタイミングの問題。
 手の隙間からこぼれてしまった砂が金の砂であったとしても、もはやそれを確かめることはは出来ない。そしてこぼれおちて欲しくなければそれはしっかりと宝石箱に閉まっておくべきであっただけの話である。無理矢理人の宝石箱をあけて奪い取るのは論外だ。
   

 通り過ぎていくものは、また会う日まで。通り過ぎていかないものは、何かわけがあって通り過ぎていかないはず。大切にしたいのならば宝石箱へ。嘴でつついてくるのであればむやみに刺激しないように。危ない橋は渡るのも渡らないのも自由。その代償を引き受けるのは自分。


 種をまく人、土壌を耕す人、土足で踏みこむ人、畑泥棒、徴税人。春夏秋冬。

 シワの増えて老いを感じた鏡の中の私の瞳が、私に微笑みかけていられますように。澄んだ目をしていられますように。そして再び種をどこかに蒔いてから息を引き取れますように。